エリザベス女王杯で勝利した血統分析

ムーテイイチの孫にあたり、現役時代に2勝を挙げたブゼンスワンは、ブゼンキャンドル以前に6頭の産駒を送り出し、うちJRAで2頭、地方も含めると5頭が勝利を挙げている。そんな彼女の95年春の交配相手にモガミが選ばれたのは、上田牧場のスタッフが

「中山大障害を勝てる配合を意識したから」

だという。なるほど、モガミは80年代から90年代前半にかけて日本の競馬界に君臨した名種牡馬だが、三冠牝馬メジロラモーヌ、ダービー馬シリウスシンボリ、ジャパンC馬レガシーワールドといった平地のGl馬もさることながら、92年の中山大障害・春を推定50馬身差とも言われる大差で圧勝するなど2年連続で最優秀障害馬に選出されたシンボリクリエンス、89年に9年ぶりに牝馬ながら中山大障害を制し、やはり同年の最優秀障害馬に選出されたメジロマスキットに代表されるとおり、障害でこそ圧倒的な戦績を残している。やはり障害での実績がある牝系に属するブゼンスワンとの間で、障害の大きいところを目指してみよう、という気になってもなんらおかしくはない。この配合ならNorthern Dancerの同系配合で、同馬の18.75%・・・「奇跡の血量」のインブリードにもなる。

 しかし、この年上田牧場で生まれた4頭の子馬のうち他の3頭に買い手がついた後も、ブゼンキャンドルだけはいっこうに買い手が見つからなかった。障害レースの人気はとっくに下火になっていたし、高齢となったモガミの種牡馬成績も90年代後半は低迷していた。さらに、ブゼンキャンドル自身、馬体の見栄えも良くなかった。上田氏は、存命中からよく

「(馬の健康のために)いらん肉はつけてはいけない」

と言っており、その遺志を継ぐ上田牧場のスタッフもその信念を引き継いでいたが、それは自ら馬主となって生産馬を走らせるオーナーブリーダーとしてならともかく、第三者に生産馬を売るマーケットブリーダーの論理ではなかった。

 結局売れ残ってしまったブゼンキャンドルは、上田牧場自身の所有馬として走ることになり、上田氏の存命中から主戦格の騎手・調教師として多くの所有馬を託されてきた上田三千夫厩舎へと入厩することになった。もっとも、上田師はブゼンキャンドル世代のクラシックが幕を開ける直前となる99年2月に定年で引退することが既に決まっており、入厩に「お情け」感があったことも否めなかった。

   

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